カレーハンター協会編集部のHです。インドが発祥といわれるカレーですが、カレーライスという食べ物はインドには実はありません。インドには数多くのスパイスを利用した料理があり、カレーという味を一つの料理に限定して利用している訳ではないです。
その為、カレーライスという食べ物に関しては、日本食に含めて考えることが出来ます。それの証の一つが、カレーに添えられているあの地味だが心強いあいつ。そう福神漬けです。
この福神漬けですが、どのように生まれたのか?またどうしてカレーライスに添えられるようになったのか?なぜ福神漬けという名前なのか?など数多くの謎のある漬物でもあります。
今回はそんな福神漬けの謎を解き明かしていきます。
福神漬け誕生の歴史
実は福神漬け、出自は諸説あります。でも意外なことに漬物の歴史の中では比較的新参者です。
1つ目の説:上野の漬け物屋が開発
明治初頭、1885年頃に上野の漬物店「山田屋」の店主・第15代野田清右衛門が開発し、茶店で売ってみたところ評判となり、全国に広まったというもの。今まで主流だった塩漬けとは違う、醤油漬けである福神漬けをつくるのに約10年の歳月をかけたそうです。
この説では福神漬けという名前をつけたのは、この漬物を気にいった当時の売れっ子の作家・梅亭金鵞で、7種類の野菜(大根、茄子、カブ、瓜、シソ、レンコン、なた豆)を用い、茶店が上野不忍池の弁才天の近くにあった為「福神漬け」とつけたそうです。
この説が有力なのは証拠が実在することです。西日暮里の浄光寺に表彰碑が存在するんです、その名も『福神漬発明者野田清右衛門表彰碑』。見たことある人もいるのではないでしょうか。
また梅亭金鷲が名付けた説としては、ご飯のお供にこれがあれば他におかずは要らない。そうすると食費が抑えられお金が貯まっていく、つまり家庭に七福神がやってきたかのように幸せになるという意味で名付けたという説もあります。
2つ目の説:了翁道覚が考案
1672年に了翁道覚という方が、上野寛永寺に勧学寮を建立したのですが、そこでは寮生に食事のおかずとして、了翁が考案したとされる漬物が出されていました。
大根などの野菜の切れ端の残り物を干し漬物にしたもので、輪王寺宮がこれを気に入り、「福神漬け」と名付け、広まったというものです。
なぜ福神漬けがカレーに?理由と由来は?
そんな福神漬とカレーライスとの出会いの瞬間が訪れます。それは大正時代に日本郵船の欧州航路客船の一等船客に、カレーライスを出す時添えられた時です。
福神漬がインドカレーの添え物のチャツネ(豆・野菜と香辛料で作られる、日本のふりかけや漬物のようなもの)と似ていたから添えられたらしいですが、その理由は二つ説があります。
一つ目はチャツネが切れてしまって代わりに用いたというもの、二つ目はチャツネが日本では不評だったからというものです。ちなみに福神漬けが赤くなったのもチャツネに影響されたといわれています。
また二等・三等船客にはカレーの添え物として、たくあんが出されていたようです。うーん、もしかしたらたくあんがカレーの横にいる未来もあり得た訳ですね…。
これが人類史に残る発明であることは間違いありません!ほんとうに感謝の気持ちで一杯ですね。
甘口な福神漬けが広まったのは、軍隊で出されていた缶詰の福神漬けが砂糖で甘く味付けされており、これが故郷に帰った将兵により全国に伝わったからだそうです。
まとめ
人に歴史あり、国に歴史あり、福神漬けに歴史あり。一つの漬物も歴史を追ってみると色々なことが分かってきます。
特に漬物という伝統的な世界に、新しい風を吹かせた男がいたことを知れたのは良かったです。そして名前も凄く日本の江戸時代の気風が残っている感じがしますね。
この記事が、カレーライスに新しい面白みを見つける一助になることを祈ってます。
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